暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

SSと「オトナ帝国の逆襲」と懐古

つい先日、SSについて語る場があった。
親衛隊では無く星新一の書いたものでも無く
台本形式のアニメやゲームの二次創作の事である。
思えば中学時代、部活で上手くいかず煩雑な事情を抱えたが、その逃避の先がSSであった。

 

個人的にはドラえもんが道具を使って本気で闘うという話がすごくよく出来ていて面白かった。
能力バトルを作るならドラえもんを参考にすると良いと持論を持っていたがこれはこのSSによって自分の中で醸造されたものなのだろう。
有名なジョジョスタンド能力も大抵は秘密道具で再現可能である。
例として挙げるならクラッシュは瞬間移動潜水艦であるしソフトマシーンは厚み抜き取り針だ。
自分の中での凄い漫画家としての荒木飛呂彦像を崩したくないのでこれくらいにする。

 

SSに話を戻すと、ハルヒだの禁書だのアイマスだのをこれで知ったが、ここ5年くらい一切読んでいない。
これは何故かと分析すると新しいアニメについて行く体力が無いのだろう。
枯れた人間はこうして自己の中でインブリーディングを行い、知的欲求や興奮を求めなくなり、ただ惰性で生きていくようになるのだ。
友人と話す時もとりあえず刺青ネタと子宮に沈めるという映画のネタを言っておけばいいか……と会話の種が先細っていく。
新しい血を入れなければ、新しい血を入れなければと思っても今回書く映画は「オトナ帝国の逆襲」である。
近親相姦が再び始まるのだ。

 

ばらさよ盟連。
Netflixから堂々退場し、ついに見るものが無くなった。
AbemaTVで恋愛リアリティーショーを見るかクレヨンしんちゃんの映画を見るくらいしかやることが無い。

やはり映画クレヨンしんちゃんと言えばオトナ帝国の逆襲だろう。
これを見てない人間は村八分にされたり投石されても法的に問題ないと情に厚い裁判長なら判決を下すほどの名作だと思う。

 

なにも言及することが無いなぁと思いながら見ていたら重箱の隅をつつくような疑念が思い浮かんだ。
敵組織は大人の精神を子供に回帰させる事により敵集団の理想とする20世紀に戻ろうとしている。
しんのすけ達が大人の居なくなった街で過ごすシーンを見て思ったのだが、これは危ない。
ひまわりはしんのすけが面倒を見ていたから無事だったが他の幼児の場合どうだ。
それこそ「子宮に沈める」のように餓死したり事故死してしまうかもしれない。
医師や医療従事者達も子供に戻ったなら尚更だ。
病院が維持できなくなれば大病を患った人たちも亡くなるだろう。
さながらポルポトのクメールルージュ。
野原一家の帰宅がラストシーンとなり、かなり感動的だが、周囲の家庭は阿鼻叫喚の地獄絵図であろう。

 

客観視すると空気が読めていない。

アンパンマンドラえもんをリアルに描く寒い絵のような指摘なのだが、これは本作のテーマと合致する部分があるから自分の中ではセーフだ。

 

僕の思う頭の良さとは、それを実行した場合の結果を詳細に想像出来る事だと思う。
ある法案を通せば恩恵を受ける人も居れば損害を被る人も居る。
その枝葉のように広がる過程と結果を考えられる人間、要するに風が吹いて桶屋が儲かるの中身を樹形図のように羅列出来る人間にこそ頭の良さを感じるのだ。

 

オトナ帝国において敵組織はクメール・ルージュ化を予想出来なかったのだろうか。
描写はないので何も言えないがそうであるとすれば、匂いによって大人から子供に戻すという技術力やそれを行動に移す実行力がありながら、理念というかブレインというか過程と結果を思考する能力が足りていない。
子供のままごとのようだ。
そういった意味で敵組織イエスタデイ・ワンスモアは野原一家といい対比になっていて良いなぁと思う。

 

未来を生きよう、進歩しようというこの作品のメッセージを受け取れない自分が居る気がする。
お節介焼きは人生を直視しなくていいから、楽に生きていけると三島由紀夫が言っていた気がする。
現状を直視せずSSを懐古したり何も考えずにアニメやら漫画やら恋愛リアリティーショーやら小説やら映画やらに逃げて居た方が幸せな気がする。


カスパー・ハウザーという人間は青年期まで暗闇の中で暮らしていた。
彼が地上で暮らし始めた際、今までの人生を無駄にした事を悔いて「穴から出なければ良かった」と思ったと言う。
自分も障害者だと知らなければそれに逃げずに邁進出来ていたのだろうか。
分からないが、精神や知的好奇心の先鋭化に抗いながら逃げるしかない。
兵法三十六計よりも上のこの手は誰もが使える武器であるから。