暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

サンセット大通り

何故、何故辛いのだろうか。
苦手とする自己分析を幾度重ねても結局のところ答えは出ない。
「栄光を手にした人間が落ちぶれるも再び捲土重来を企む話」
これを見るのが辛い。

 

よく老害化を自己判断する方法として「最近の○○は駄目だね」と思うかどうかが挙げられる。
これはなかなか正鵠を射ているものだと思うのだが、自分にも多少当てはまっており一抹の不安を覚えている。


ゲームがつまらない。
勿論面白いゲームもあるのだが現在のメインストリームたるソシャゲがつまらない。
抜くために設定を把握するのを唯一の目的としてプレイする程度であるからあまり時間を割きたくない。
果たして自分は老いて枯れ潮流から置いていかれた存在が寒い洒落の老害おじさんなのだろうか。
それとも正論を垂れる空気の読めないおじさんなのだろうか。

 

映画等で捲土重来モノを見ると悲しくなるのは大抵、それをなそうとする者が古い考えに固執し復古を目指すからだ。
王朝は200年もすればガタが来るし名声は維持しなければ雲散霧消する。
これを理解していてもやはり悲しい。
三国志のドラマにて、曹丕に滅ぼされる後漢の皇帝のなんと悲しい事か。

 

そして、見なきゃなーと思っていたサンセット大通りを見た。


面白かった。


主人公が夢と若さを取るか金と老女を取るかという択に翻弄されておりなかなか飽きさせない。
老女は無声映画の頃のスターという設定で台詞のある映画は駄目だねと発言する。
これにより老害思想は幾重にも繰り返されてきたのだなぁと感心する。
平野長泰がこれと似たような事を言っていたみたいだが)
蠱惑を見せる老女は僕の映画体験には少なく、1984での売春婦にカメラが近づいて行くとすごく老けているのが分かるシーンかサンセット大通りと類似した映画の何がジェーンに起こったかであった。
スポットライトが当たるシーンは悲しい。
ラスト10分くらいは今みるとそこまでのスケールは無いなと思わせておいて、あのラストは必見だ。
どの映画より狂気の濃度が高いと思う。

 

結局の所、劉秀でも無ければ滅びた王朝を建て直すことなど出来ないのだ。

少しでも鏡を見る事が能うならきっと自分が光武帝で無いことは分かるだろう。
盛大な夢と比例するのは失敗した時の惨憺たる胸中だ。
負け犬のような自分は大きな夢など持たずに生きていくのが1番なのでは無いかとポン・ジュノのパラサイトを見て思うのである。