暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

「中国が海を支配したとき」とWikipedia

ラジオを聞いていたらキュビズムという単語が出てきた。
なにか芸術に関する表現技法なのは覚えているけれども、何故かそれを大まかに説明出来るほど覚える事が出来ない。
そういえばノーナ・リーヴスの曲の歌詞に出てきたなぁと思い、冷蔵庫から冷えた緑茶のペットボトルを出しながらYouTubeで公式がその曲を出していないか確かめた。
鼓膜の中の愛という曲なのだが公式では無かったようで、今日は遵法意識が高い日であったからその次に出てきた耳かきの動画を見ていた。
耳くそが出てくるまでは楽しいのだが、出てからそれが異物にしか見えず、嫌悪の対象となる。
跡継ぎが確約されていたが実子が産まれた為急に冷遇される養子のようだなぁと思い動画を見終わると、冷えていたペットボトルに水滴が。


春の終わりを知った。


もう少し韻文的な夏の訪れを知りたかったがドラえもんの具象化鏡の「春の足音だよ」を書くのは才能が要るようだ。  

 

 

闘病を言い訳に何もしないのも嫌だなぁと思い本を何冊か読んだ。
「中国が海を支配したとき」というタイトルで鄭和について書かれた本の事を書きたいと思う。

作者はアメリカ人のようで西洋人が持つ中国に対する偏見(内向的な国で海洋進出しない)を取り払うかのような言説であった。
いわば日本人=単一民族国家という国家観を変えようとする網野善彦的なスタンスなのだろう。

 

鄭和は宦官であり馬の姓を名乗っていた。
馬援馬騰馬超馬謖馬岱馬良となかなかキャラが濃くて面白い馬姓に対する興味を熱くさせてくれる。


そして、読んでいるうちにこれは鄭和より永楽帝について書かれた本であることが判明してくる。

永楽帝は靖難の変で建文帝を捕え損ね、宦官に何度も捜索を命じた。
目が悪く、自分が直接確認したいので書類をその宦官に大きな字で書かせたり、
靉靆(あいたい)と呼ばれる眼鏡を朝貢品として貰って喜んだりとなかなかキャラが立っている。


鄭和を目当てに読んだのに永楽帝が亡くなると悲しみに包まれその先の読書に意味があるのかと考え込んでしまった。

宣徳帝までは明もいい政治をするのだが、その後宦官と儒者の対立により海を支配した中華の栄光は錆び付き、主役は西洋諸国へと遷移していく。


と、大体Wikipediaに書いてある事を5~6時間かけて読むのは辛い。
書かれていなかった「目が悪かった」という話もWikipediaに書かれていないから僕にとって真偽は不明なのでここに書いて良い話なのか心配になる。
この本は面白かったが虚無感がある。

 

フリッツ・ハーバーやトム・カストロの本を読んでWikipediaに怒りを向けていた事を思い出した。
しかし、馬姓を調べる際にも使ったしもうこれから逃れられない。


コメディーリリーフが暗黒に断頭されるような昭和のギャグ漫画みたいなオチでこの文章は締められるだろう。
キュビズムって何だったっけと、僕はまたこの端末にWikipediaを開くのだろうか。