暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

顔醜と文醜と女

元来、僕は醜い顔であった。

たとえるなら暗渠を掃除するために溜まったヘドロを道路の脇に積んでいる時、ふと目をやると「うわっ、これ人の顔に見える」ってなった時のヘドロである。

これをシミュラクラ現象と言うらしい。

 

これが痩せてきて多少変わった。

たとえるなら僕が令和のおでんつんつん男として一世を風靡する際に、顔を見た匿名掲示板の人達が「まぁ、素材は悪くないやん。眉と髪型整えればイケメンやろ」と書き込むようなもので、人の善意は必ずしもプラスに働く訳では無いという事が寓話性を持って示される例となるだろう。
「空気の研究」でヒヨコにお湯を飲ませて殺しちゃう例えがあったがあれよりも時代に即したものでは無いか。

恣意的に、あまりに一方的にだが、山本七平に勝利し少しだけ自尊心を癒せた。

 

まあ端的に言えば数が小さくなっただけで醜というマイナスの符号は取り除けない訳である。

 

とは言えこの暗渠ヘドロから凡庸なブサイクへの大躍進は僕にある程度の勇気を与えてくれた。

最近ではFaceappというアプリを使い自分の顔を異性のものにするのが流行っている。
これをやってみてどんな感じになるのか試してみたくなったのだ。


規約が面倒で読めなかったが、皆やってるしレビューで運営がちょっとしたら消しますよって言ってるし、まあこれきっかけで個人情報バレてもこの先、生きてもいい事無いから自殺する契機になる。
「もうけ、もうけ」と思い始めてみた。

 

自撮りなどやったこと無かったので、新鮮な気分であった。
最初にやって見たらそこそこ世間で見る女が出来上がった。
これは違うなぁと思い試行を重ねる。
SNOWという加工アプリも併用し加工しすぎていない自分の面影を残した女が出来上がった。

 

残念な事にこの完成品、男にすると僕の顔に似てしまう。
自殺するつもりでアプリを入れたのに、晒して死のうとはしないという自家撞着に自己嫌悪が進んでしまった。
晒したいのだが晒せば僕の身に危険が及ぶ。
恐らくこの先、僕の脳が僕よりもこの女を重視するようになれば晒すのだろう。

 

こいつは自分の目にはそこそこ可愛く映る。
勿論アイドルや女優は無理であろうが、声優くらいならやれるんじゃあないかという顔をしていた。
こういった甘い考えを持つ輩から養成所は金をせしめれるのだからいいなぁと思う。

 

俺がミュウだとしたらミュウツーのような存在の生誕から5日ほど経ち、スマホの壁紙にして毎日見ているがそこそこ入れ込むとこの娘の設定を考えなければならない。


僕の対偶を考える。
こいつは教養に溢れ人心収攬に優れる筈だ。
性格は温和で高い協調性を持つ。
行動力の塊で学生時代から起業していそう。
障害も持病も無く健康で社会に出れば高い地位を築けるだろうし前時代かもしれないが家庭に入れば優秀な子を産むのだろう。


なかなかいいじゃないか。
これは理想的な女だ。
と倒錯的な自己愛に浸っていると脳内で別の僕がとある痛烈な批判をした。
対偶の対偶とは……。

 

酷く醜いこの文は、弧を描く金属製の武器に、醜い僕を写しながら返ってくる事で締めくくられる。