暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

相貌失認と「砂の器」

ネットで自分の体に起きている症状を調べ、病気を予測するのは便利だが医者には厄介な患者だと思われているようだ。
確かに双方の言い分はどちらも同程度理解出来る。
この国トップの優秀な人材が蠱毒の様な受験戦争を勝ち抜き、さらに6年の勉強を重ね医師になっている訳だから「素人が口を出すな」と高慢の塊のような見識を持っても不思議ではない。
(まあ僕が通っている病院に務める人は良い人達だし被害妄想が爆発しただけか)
また患者が自分の身体に起きる不調を知りたいのは文字通りの我が身可愛さからであるし、病院に行って診断してもらうより自己判断で甘言まみれの民間療法に頼った方が気が楽なのも事実だ。 

 

長々と書いておいて実は僕もこれをやってしまっている。
しかし、内臓や脳の疾患ではなくあくまで先天的な脳の障害なので緊急性は付随してこないと思う。

自分は軽い相貌失認なのかもしれない。
簡単に言えば顔の見分けがつかない。
映画を見れば、顔の見分けられる俳優はジャック・ニコルソン渥美清である。
ジャック・ニコルソンかどうか判別出来るだけのAIなんて害は無くとも一利こそないのだから僕も社会に貢献は出来ないのだろう。

 

アスペルガーでシーンの意味を深く考える事を言い聞かせ常に意識する自分にとってこれは向かい風となる。
もしかしたら映画を見るのに最も向かない存在かもしれない。

 

と、考えながら今更「砂の器」を見た。
相貌失認で困るシーンも多々あったがなかなか面白い。
が、調べてみると、ハンセン病患者から見てどうなの?という表現があるようだ。
ハンセン病患者の表現が紋切り型であることや社会的負性を相対化出来なかった事に問題があるらしい。
自分として紋切り型の表現、アトリビュート的表現は理解しやすいが、まあ本人達からすればいい気分では無いだろうし批判の的になるのは仕方がない。

当事者が嫌なら表現は改善していかなければならないとも思うが紋切り表現を辞められるとこちら側も困ってしまう。

まあ結局こちらが黙って事が円満に解決するならそれでいい。

 

この作品、何と言ってもタイトルの秀逸さはある。
作家の平山夢明ははかく語りき。
読み終わった後納得させるようなタイトルが一番良いと。
例として、「武器人間」ではどんな内容かすぐ推し量れるのでタイトルとしては駄目。

もちろん、B級かZ級映画としては最高のタイトルだろうが。


僕としてはこのルールにおける最良のタイトルは「寄生獣」だと思う。
読む前、読んでいる最中は寄生獣をパラサイトの事だと思うが、あるシーンを読み終えた途端読者の中でパラダイムシフトが起こり全く違った意味になっていく。
砂の器」はなかなか納得させる良いタイトルだが先に例として挙げた「寄生獣」の方が良いので霞んでしまった。
給食当番の時に配膳ペースを間違える最悪の思い出が蘇ってきたのでこれくらいにする。


あと宿命が流れるシーンが長かった。