暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

メタ発言を許さない

小島瑠璃子に粘着するために今日も筋トレに励む。
2つで15キロのダンベルを上下に動かすのだが15キロというのは軽視されるしと思うし自分もこれを軽視していた。
しかしこれを200回となるとなかなか辛いのだ。
一対一で小学生と戦うとなると楽々勝てるが相手が200人の小学生となるとこれも趨勢は見えていて5分もすれば僕の腸(はらわた)をちぎって遊ぶ小学生の群れが見えるのと同じだ。
大体25セットやるのだが、25と言う数字を見てなにか頭の中でフラッシュバックした。
大抵これは事件解決の手がかりとなったりするのだが思い浮かんだそれは……。
ドラえもん映画25周年作品であった。

 

件のワンニャン時空伝にて作中の遊園地「ネコジャーランド」は創立25周年であり映画とシンクロしているのだ。
それが判明するシーンでスネ夫あたりが「ふーん、映画と一緒だね」と言っていた気がしてならなくなり見返す事となるもそんなシーンは無い。

なぜこのような猜疑心を持ってしまったのだろうか考えてみる。

 

ドラえもん映画にはかなりメタ要素が見受けられ自分が覚えている範囲だと
「海底鬼岩城」ラストにてドラえもんが子供達に呼びかけているとも取れるシーン
「魔界大冒険」にておわりと出るシーン
「鉄人兵団」にてドラえもんが「後はこの映画を見てくれている人達だね」と言うシーン
「銀河超特急」にてスネ夫が「のび太は大長編(映画)になるとかっこいいことを言う」と言うシーン

他にもあれば申し訳ないのだがこれが自分の今の全力である。

 

猜疑心を抱いたのはスネ夫に前科があるからであった。
これは罪を憎んで人を憎まずの精神とは相反するものでなるべく避けたい思考なのだが、受刑者の再犯率が高いというデータも聞くし受刑する際に単に塀の中に入れるという機械的な目的達成でなく更生を目的にして欲しいのだがこれは今回のテーマではない。

 

ドラえもん映画に登場するメタ要素は藤子・F・不二雄存命中に固まっている事について考えてみる。

恐らくこれはF氏没後(主に水田わさび版)リスペクトがあり下手にメタ発言やメタ要素を盛り込めない事にあると思う。
メタネタは特にアニメにおいて当て擦られ、未だにやっているのを見ると閉山済みの鉱山で一儲けしようと企む連中を見るようで辛い。
勿論捻った新しい表現技法としてのメタなら面白いし見たいのだが、大概がそうでは無いのでこう苦言を呈す帰結となる。

 

なにか安易なメタネタに怒りが湧いてきた。
安易なメタ表現を撲滅する会を作ろうかと思う
この会はKKKや先生を流産する会よりは社会にとって有意義だがミヤイリガイを徹底的に殺そうとする人達よりは無益だろう。
思いつきで作った会は十中八九こんな感じの功利を生むだろうしベンサムも何も言わないと思う。

 

変な考えを持ってしまったが今日も小島瑠璃子に粘着出来るくらいのマッチョになるために邁進していこう!!!

前向きな結論が出せた。