暗黒日記を付けておけ!

清沢洌に捧げるうんちみたいな文章

「バードマン」あるいは「先生を流産させる会」

コロナ禍にてミス・サイゴン公演の中止の告知を流行りかけた頃テレビで見かけた。
CMに出ていたのは市村正親……。
か、役所広司であったと思う。


CMを見て、もし突然2人が僕の目の前に現れて「どーっちだ?」と問うてきたらどうしようかと杞憂に興じた。
ミュウツーの方ですか?」と聞けば正親が答え、「黒沢清のCureの方ですか?」と聞けば広司が答える。
ヨウ素がデンプンに反応して色が変わるのと同じくらい当たり前だったので考えるのも書くのも無駄だった。

 

ミス・サイゴンは見た事も聞いた事も無かったし舞台には一切興味がなかったがアカデミー賞みたいだし「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」という映画を見ることにした。

人気映画バードマンの俳優として有名になったが人気は低迷し落ちぶれた男が舞台で捲土重来を図るような作品。
つまり貴種流離譚判官贔屓のような誰もが好きなテーマを扱っている。

興亡では無く亡興である。

 

映像作品である意味、特に映画である意味があるのはワンカット風の視覚効果やMARVEL作品やDCの潮流に対する批判からか。
さすがアカデミーを取るだけあるなぁと事大主義で権威主義の僕は思う。


東條英機が拳銃自殺を企図した際、心臓に撃ったから失敗し東京裁判に出る羽目になったと半藤一利の本で読んだが、確実に死にたいなら顔、特に銃口を口にくわえて撃つべきでこめかみへの狙いは外れてしまう可能性もあるとバードマンの主人公に伝えたかった。

 

今日はもう一本映画を見た。


「先生を流産させる会」
タイトルや予告編のインパクトはかなりある
名前を聞けば泣く子も黙るような"なまはげ"や楊大眼のような威武がある。


しかし予告編の面白そうな雰囲気と実際の本編に乖離が見られる。僕が期待をかけすぎたのか、この映画の期待は将来を嘱望された男が転落し堕ちていく。

本来の意味でのカタルシスを満たす悲劇のようになっている。

擬似的に毒親になれる映画だ。

 


この喩えはバードマンとはまるで逆コースでこの二本を同じ日に見たのは運命だったのではないかと思える程だ。

 

こうして運命らしい偶然が起因となり、僕の想像力はある程度のところまで行って、人間が群れを形成しているのを見ると誰かの流産を計画しているのではないか?と訝しんでしまうだろう。
三密がこれだけ叫ばれる中で集会結社の自由は灰燼と化してしまうかもしれないが、誰かを流産させる計画がこれで止まるのなら自由なんて人間のエゴは死んでもいい。
自由なぞ要らないんだよ「先生を流産させちゃおう」って考えてる奴に。

 

あと、この映画は実在の事件をモチーフにしているようだが、何故加害者集団の性別を変更したのか監督の弁明をWikipediaで見ても分からない。
そういう所のノーマライゼーションが足りとらんのだ。
あらゆる発言は障害者にも配慮しろ。