死と「子宮に沈める」
長田忠致という源平の武将をご存知か。
源義朝を殺すも、その息子頼朝の挙兵に呼応した。
頼朝の「懸命に働いたならば美濃尾張をやる」の言葉を信じ貢献した。
しかし、頼朝の天下となると父の仇として扱われ最後は「約束通り、身の終わりをくれてやる」と頼朝から伝えられ処刑されたと言う。
説明する能力が無いのでWikipediaにあったのを多少変えて持ってきたが文章を書く練習をする為のブログなので、なるべくこういうのは控えたい。
ちょっとした落語のような死に方でありこうはなりたくない。
死後に嘲笑される死に方なぞしとうない。
武士の魂を継承する人でもない限り現代人は皆畳の上で死にたいと考えているだろう。
僕としては2112年9月3日まで、ドラえもん誕生の日まで生きてみたい。
生きているのか死んでいるのか分からない肉塊になるだろうが、ドラえもんをその濁りきった目で見る事と介錯してもらう事が夢だ。
理想の死と対極にある、嫌な死に方と言えばやはり餓死や焼死だろう。
だからこそ、藤原種継暗殺疑惑に際し、何も食べす身の潔白を証明しようとした早良親王の胆力や、
様々な問題への抗議の意として焼身自殺を選んだ人達の粉身は忘れる事のならないものとなる。
正直に言えばこれらをグロテスクとあまり思わない。
何故ならこれには尊厳や覚悟があるから、つまりその行動をすればその身がどうなるか分かっているからとも言える。
毀誉褒貶あるとしても特攻賛美が絶えないのはこれがあるからだろう。
また、これがない場合の餓死や焼死は本当に辛いものがある。
「子宮に沈める」という映画を見た。
大阪二児餓死事件を下敷きにしており、恐らく全員が見るべき映画だが、見た殆どは二度と見たくないと思うだろう。
冒頭、母親が調理するシーンがありそこで作るロールキャベツと卵三個を使ったオムライス、
これがこの作品の結末を暗示していて良い。
食べ物での比喩はゲット・アウトという映画がかなり良かったがそれに劣っていないと思う。
作品は徹底して無音、映されるのは家族が暮らした一室だけで、この作品の閉塞感というかどうにもならなさを最大限に高めている。
見ていてあまりに辛くて、俺がタイムスリップしてドアぶっ壊して助けに行きたい程だった。
あまり書きたくないのでこれくらいにする