連ちゃんパパ
久々に漫画を読む。
流行りものには乗っておけと三島由紀夫が言っていた気がする。
このまま脳内三島由紀夫の言うことに従ってもいいのか。
生か死かの二択に追い込まれた場合彼の好きな葉隠には死を選ぶべしとあるし脳内三島は死を奨めるのではないか。
あの人割腹自殺もしたし。
しかし今回はただ純粋に「連ちゃんパパ」について取り上げようと思う。
特撮が好きなのでそれに関するパチンコの情報を見ると1回やって見たくはなるが、怖くて店に入れずに居る。
かくも人間の精神は壊れてしまうものなのか、とウシジマくんを少しだけ立ち読みした時の恐怖からか。
残る絞りカスみたいなパチンコに関する知識はこち亀とヒミズくらいだ。
歯がなくても食べれそうな柔らかい絵柄に隠れる神経毒のような中身と世間では風評されているが、読み終わってみるとそうでも無い気がした。
何故そうでも無いと思ったのか。
ホラー映画が作を経る度コメディじみてくるのと同様のキャラクター化が行われている。
自分の中でこの作品の主人公はこち亀の両津勘吉やサウスパークのカートマンと同じ位置にカテゴライズされているからだろう。
これをメタ化させる言葉を知らないが……。
主人公が借金取りを手伝うパートがあるが、冷たい熱帯魚のでんでんを思い出すほどニコニコしてやる事は卑劣。
作者も取材していそうだからやはりああいった人間はこの世に存在するのだろう。
俯瞰してみるとでんでんのような人格になる時もあれば、紋切り型のパチンコが生き甲斐の普通のヒモ男になるような時もある。
屑のアーキタイプから持ってきたキャラ造形で少し微妙に思えてきたが、タクシードライバーを見た時に感じた底辺特有の一貫性の無さというリアルにも通じるのではないか……とも思う。
ラストは胸糞が悪いと言われていたが、キャラクター化が行われていた自分の見方ではここまで乗りきってきた家族であるし、あの後何とかしてやって行けるだろうと思った。
自分の中で毀誉褒貶あるにせよ、100日後に死ぬワニより中身があり作者は報われるべきであるとも思う。
単行本化グッズ化アニメ化映画化小説化実写化舞台化と様々な展開を経て、パチンコ化されるのがこの作品の最も良い報われ方では無いだろうか。